ゴーリストブログ

ゴーリスト人事部のブログです。会社の雰囲気・社風や制度など、ゴーリストの情報を発信していきます。

会社選びの軸がわからなかった新卒が働いてみて思うこと(前半) 

f:id:e-nagata:20190604121116j:plain

こんにちは、レタスです。
この春で社会人3年目になるデザイナーの人です。
今就活をしている学生さんに向けた記事として、アイキャッチを爽やかにしてみました...。

日頃は担当プロジェクトのことについて書くことが多いんですが、今回はそちらからは離れて自身についての振り返りを書いてみようと思います。ごゆるりとお茶でも片手にお付き合いください。 

f:id:e-nagata:20190604115840p:plain

普段はnoteでデザインブログ書いてます

https://note.mu/nagalettuce 

 

 

 

始まりは1枚の名刺から

私がゴーリストに入社したのは2017年度の4月です。今からちょうど2年前。その前年の秋に開催されたアウトロー就活で当時の人事部長に名刺を渡され、会社説明会へいき、なぜか面接に受かったので新卒2期生として入りました。
なぜ株式会社ゴーリストという名前も聞いたことのない、事業内容もよくわからない小さなベンチャーに入社することになったのか。需要があるかはわかりませんが、遡ること3年前、私の就職活動についてお話しましょう。

 

就活前の大学時代

遡ること数年前、私は学生時代、某大学の芸術学部にいました。
大学3年次、(おそらく)ちゃんと就活してる子はポートフォリオ作成などに着手し始める時期でしたが、私は当時仲の良かった友人の影響もあり、「高校の頃から一度は海外で暮らしてみたかったしな〜」ということで休学をしてNZへワーホリに行く事にしました。大学で行かなかったらその先タイミング逃しちゃう気がして。実際海外に行こうと思えば何歳でも行けるので、そんなことはないんですけど。

AUSに行くかNZかで悩んでましたが、ある日構内のベンチでぼーっと座っていたら近くの学部の学生さんがたまたま隣に座り、「俺もワーホリでNZ行ってたよ、留学エージェントいいとこ知ってるから教えてあげるよ!」と。なんたる偶然、直接情報をもらったので即行き先を決定しました。そこから休学の前半はお金を貯め、後半NZに滞在するプランを立て、休学届けをさらっと提出。

準備は整いました。いざ、お金を作らねば。
そのまま大学の近くでバイトをするでも良かったのですが、お金を貯めなきゃいけないのに家賃で固定費かけるのもったいないよな〜と思い、じゃあまずアパートを引き払おう、と住み込み可能なバイトに絞って稼ぐことにしました。

一応戻ってくるつもりはあったので、家電だけどうしようかと悩んだのですが(実家も郵送費かかるし、処分するとまた買い揃えるのが大変)、通っていた某大学は友達が皆すぐ近くに住んでいたので、彼らに一点ずつ「ごめん!一年間預かっといて!」と託して炊飯器や羽毛布団、アイロン、レンジ、あらゆるものを分散させました(復学後全て回収しました)。今考えるとすごい迷惑なやつです。でも不思議と?誰にも断られなかったので、本気で悪気がなければちょっとくらい人に迷惑かけても大丈夫なのかもしれません。

住む宿、食事、インターネットがあるという条件でバイトを検索し、いくつか候補を見つけた中、たまたまレタス農家がヒットしたのでこれまた「一生に一度くらい農業体験してみるか〜」とノリで応募しました。するとなぜか採用。今思うと女で(重いもの運べない)、ペーパードライバー(ゴールド)で、マニュアル免許も持ってないのに採用だなんて奇跡みたいな話です。どんだけラッキーだったんだと思います。

聞いたことのない村だったのでグーグルマップのストリートビューで確認...山と川しかない...。まあ、高原地帯ですもの。そんなものなんでしょう。
アパートを退去し、当日電車を乗り継ぎ、お世話になる農家さんとご対面。そのすぐ翌日から午前2:30起床、4時からレタスを切る仕事がスタート。約3ヶ月間レタスを切ったり苗を植えたり雑草を引っこ抜いたりしていたんですが、食物を作るのってクリエイティブ!すげー!とインスパイアされ、なんならそれまで見てきた美術作品よりも感銘を受けて()、充実したバイト生活を過ごしたのでした。人によっては向き不向きがあるみたいですが、私は楽しかったですね...。何よりお世話になった家がとても良いご家族で。そういう面での運はもってるんだと思います。夏から始めて秋頃に長野の高原をあとにしました。

f:id:e-nagata:20190604115539j:plain

その後旅館などでもバイトしましたが、お金もある程度たまったのでNZに渡航し、半年間気ままに過ごしました。1ヶ月間はホームステイ先に暮らし、その後バックパッカーを渡り歩いて行きたい街へふらふらと。ちなみにNZで一番好きな町をご紹介しますと、ダントツで南島のNelsonです。町のコンパクトさとか、自然とのバランスとか、小さなギャラリーが多くてアート色の強いところとかすごく良かったです。

バッパー生活も楽しかったですが、意外と日本の田舎の方が刺激は強かった。ゆーてもNZって先進国なので、慣れるとすぐ便利に暮らせちゃうんです(英語は難しかったですが…)。長野で一緒に働いてた中にはカンボジアからの農業実習生もいたし、半分タイ暮らしをしているおじさま方もいたし、村の出稼ぎにきてる中国人が前年にボイコットしちゃったんだよ…等などいろんな話を聞いたり。異国の地でした。

NZで半年すごし、帰国後無事復学。大学4年生に進級しましたが、農家バイトでインスパイアされすぎて、結構本気で若手の農業生産法人の求人なんかも見ていました。...なのですが、「え?芸術学部行ったのに農業?」という親の意見と、マニュアル免許取得が能力的に高い壁となりまして、就農はいったんやめにしました。AT免許でさえギリギリ、実技の卒業試験で3回落ちた私がマニュアル免許が取れるとは正直思えなかったです(最後は担当教官のお慈悲でギリギリ合格点もらって卒業)。もうそれはどうしようもない能力のなさです。2tトラックを運転していた農家のお母さんは本当にカッコよかったです。

それと同時に、「あっやばい私大学で何もしないまま卒業しようとしてる」とも感じていました。美術の何をかじったっていうんだろう。就職を考えても興味のある業界も職種も見つけられず、そこから本当にどうしようかと迷い、親に無理をいって大学院に進学させてもらい、さらに2年を過ごしました。モラトリアム延長してしまった人間です...。

 

最終学年の就活

院の最終学年、春のうちはそれなりにルールに沿って就活しようかと思っていました。SPIも単発的に勉強してウェブテストもうけました。その時期受けたのは2社、業界の全く違う事務職でした。1社は面接まで行きましたが結局ご縁のない結果に。
一方修論もテーマを提出し、本腰入れ始めないとまずい時期になったので、「就活よりもまず卒業せねば!」という状況が先立ちました。そこで目処がつくまで就活はストップ、ようやく秋に就活を再開。その時すでに10月。そのとき出会ったのがアウトロー就活でした。

どうしてアウトロー就活のサイトにたどり着いたかは忘れてしまいましたけど、「就活 基準 わからない」とか「就活 ESなし」など検索でもしたのでしょう。怪しいサイトだな〜と思いながらも興味本位で申し込みました。
自分の専攻もニッチでしたし、そのニッチ領域で就職できるほどタイミング良い求人があるとも思っていませんでした。時たま現代美術関係のアートプロジェクトなどの運営で募集は見かけましたが、契約社員で1~3年といった内容が多く、長期的には働けません。かといって一般職にも関心がなく、地元に戻って公務員…といった選択肢も毛頭なく(農業の道もやはり一歩踏み出せず)。そのあたりからなんとなく就活の軸がない自分には「直接人に会って決めるでもいいかもしれない」と考えていたことが主な背景です。

恥ずかしながら、私には美術の道を極める根気もそれで稼ぐ気持ちや力量もありませんでした。それまで全く知りもしない企業に「御社に入りたいです!それはこの理念に共感しまして〜」とESや履歴書を何十枚も送ることもピンとこず、実行しませんでした。本来はもっと焦るべきだったんでしょうけど…。何にせよ具体的に想像ができなかったのです。自分がビジネスに接するということ、企業の中で勤めるということが。本当に何にも定まっていなかったもやっとした就活時代でした。

そういった経緯から、いろいろすっ飛ばして直接企業の方と会えるアウトロー就活に参加。企業とのセッション終了後、5分の紹介スライドでは「IT?ビッグデータ?」とゴーリストの具体的な事業内容までよくわかりませんでしたが、当時の人事部長が最後に直接名刺を渡してくれたので(ここ大事)会社説明会に行ってみようかな、と思いました。好意を示されたら好きになる原理ですね。単純です。

でも、きっかけなんてそんなもんで良いんじゃないかと思っています。実際就活で悩みましたしモヤモヤしてましたけど、悩んで動けなくなるよりはまあ足を運んでみるか、動いてみるかというスタンスで。思いもしない時に思わぬことが訪れることって以外にあるんじゃないでしょうか。私とレタスが出会ったように。

私自身は割と慎重派だし、就活って何からしていいのか手がかりもなし、強い意思もなしで頭が重くなりがちでした。でも自分の傾向としては、とりあえず体から動かしてみた時の方がうまくいくみたいです。
今になって振り返ればですけど、自己分析をして自分のしたいことはこれだと的を定めて、考えぬいて御社が好きです!と言ったって、向こうも好きと言ってくれないとうまくいかないのが就活なんですよね...。だから、落ち込む時間が長くなるよりも、たとえお見送りされても、その理由を明かしてもらえなくても振られる時は振られるんだからしょうがないというマインドセットで良い気がします。一応私にも「うわ!いいなあ!ストライクだ!」と思った会社さんもあったんですよ。美術館でしたけど。でも、面接まで設けてくれた上で結果うまくいかなかった。普通に落ち込みましたが、当時はどうもそのことをうまく掴めてなかったのかもしれないです。


話を戻しましょう。名刺をもらってから会社説明会に足を運び、デザイン系の仕事があること、あるいは未経験からエンジニアにチャレンジさせてもらえることがわかったので、とりあえず作る側に携われるなら良いな〜と思いゴーリストの選考へ。
動いてからは割とスピーディで、一次面接、二次面接と進み、内定をいただいたので入社しました。といっても時すでに修了前の2月、時間的にもあとがなかったのでギリギリすべりこみでよかった〜という感じです。卒業後無職になることだけは避けたいという(そこだけ)強い意思はあったので、ベンチャーがどんなところかも事業内容もわからないけれど、呼んでくれた場所に入ろうと思いました。

 

全部で受けた会社は5社、ES書いたことなし、面接練習したことなし、自己PRも下手くそ、オーバーに自分を表現するのは気持ち悪い、そんなふんわり就活をしていた人間ですが、一応社会人になれました。

そんな私でも会社に勤めてみて思ったことや自分の考えが変わってきたことがあるので、次回はそれについて書こうと思います。後半へつづく。